ドイツに学んだレース技術
海外で人気を博した飯能レース
1800年代後半、今の仏子駅の近くで織物業を営んでいた平岡家に平岡仙太郎・平岡良蔵の兄弟が生まれます。彼らは、生まれた19世紀にはほぼヨーロッパでしか生産されていなかった機械レースを日本でも生産することを目指しまた。昭和初期には、ドイツ人によって開発された最新のレース機械を導入し、専門技師を招いて刺繍レースの生産を始めました。
のちに、弟であった平岡良蔵は飯能市内で独立し、「平岡レース」を設立。
平岡レースで飯能の大勢の女性達が製造した質の高いレースは、「飯能レース」として、国内はもとより海外でも評判となり、織物業が盛んだった飯能市は一大生産地として名を馳せていました(平岡良蔵は、後に飯能町長となっています)。
吉田屋呉服店でも、平岡レースが「飯能レース」を生産していた頃の在庫を入手しており、今回は、こちらをマスクにしつらえてご提供させていただきます。完全な日本製、さらに言えば、100%飯能製のレース生地マスクです。